マヨルカ島の北端、松林に覆われた岬が地中海へ細く突き出したその先に、1929年8月24日に開いた一軒が今も建っている。かつての Hotel Formentor、現在の Four Seasons Resort Mallorca at Formentor である。アルゼンチンから渡ってきた一人の詩人が、道もない岬に想像だけで建てた宿は、三年に及ぶ全面改装を経て 127 室から 110 室へと組み替えられ、国際ブランドの名を冠して戻ってきた。減った 17 室が何と引き換えだったのか——建物の輪郭と入江の距離から、その答えを読む。

1929年、道より先に建った宿
フォルメントール半島の土地は、もともとマヨルカの詩人ミケル・コスタ・イ・リョベーラのものだった。彼が『Lo Pi de Formentor(フォルメントールの松)』に詠んだ岬を買い取ったのが、パリから渡ってきたアルゼンチン人アダン・ディール。1926年に妻とマヨルカへ居を移し、当時ほとんど人の入らなかった半島に、芸術と文化と自然が同居する宿を構想した。
工事はわずか一年半で完了する。開業は1929年8月24日。ただしポリェンサへ通じる道路の完成は、その半年後だった。つまり開業当初、客は船でしか到着できなかった。電話、給湯、電灯、暖房——当時としては先進的な設備が、岬の突端まで運び込まれた。
宿はほどなく、地中海における知性の避難所になる。1961年に創設されたフォルメントール賞は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスやサミュエル・ベケットを顕彰した。カミロ・ホセ・セラやカルロス・フエンテスが逗留し、ウィンストン・チャーチル、チャールズ・チャップリン、グレース・ケリー、オードリー・ヘプバーンの名前が宿帳に並ぶ。海に囲まれた不便さが、そのまま静けさの担保として機能した二十世紀。
127室が110室になるまで
バルセロ・グループの手を離れたのは2021年。アンドラ系ファンドの Emin Capital が 1億6,500万ユーロで取得し、運営を Four Seasons に委ねる筋書きが敷かれた。改装の設計を担ったのはマドリードの Estudio Lamela、内装とスパ、レストランは パリの Gilles et Boissier が引き受けている。
ここで数字が動く。ロイヤル・ハイダウェイとして営業していた当時の客室は 127 室。認可段階では 100 室(200ベッド)への削減が示され、最終的に竣工したのは 110 室——客室 79 とスイート 31 の内訳である。差は 17 室。増築はしていない。既存の輪郭の内側で壁を抜き、区画を大きく取り直した結果として、全室が海に正対したテラスを持つ構成に組み替えられた。最小区分の客室でおよそ 40 平方メートル。密度を落とすことで一室あたりの奥行きを買った、という言い方ができる。
改装の主眼は意匠だけではない。断熱と遮音、外観ファサードの復元、エネルギー効率——エンジニアリングに ARUP が関与し、結果としてバレアレス諸島で唯一の LEED ゴールド認証を取得した。雨水の回収と灌漑への再利用、太陽光発電、在来植生の復元。1929年の建物に、二十一世紀の環境基準を通した格好になる。

40ヘクタールの私有地と、1kmの砂浜
敷地は 40 ヘクタール(100 エーカー)。松林と復元された庭園、そして自家用のブドウ畑を含む私有地で、その外側にはさらに 486 ヘクタール(1,200 エーカー)の自然保護区が広がる。島の最北端、カプ・デ・フォルメントールの灯台までは車で数分の距離にある。
宿から砂浜へは、林を抜けて直接下りる。ビーチは 1 km。松の影が砂の上まで伸びてくるため、真夏でも日向と日陰を選べる浜になっている。さらに、プライベート桟橋を持つ点がこの立地の芯にあたる。空港から車を走らせる代わりに、ポルト・デ・ポリェンサから船で入江を回り込み、桟橋に横づけして到着することもできる——道路のなかった1929年に、客がそうしていたのと同じ順路である。海側からしか届かなかった宿、という出自が、いま滞在の演出として選び直されている。

滞在——600平方メートルのスパと、六つの食卓
ウェルネスは改装後に加わった軸で、スパは 600 平方メートル、トリートメントルームは 7 室。バイオロジック・ルシェルシュや Sepai といったブランドを入れ、4月から10月まで月替わりで内容が変わるフェイシャルのプログラムが組まれている。ヴァイタリティプール、サウナ、スチームルーム、24時間利用できるジム。ハイキングとサイクリングのプログラムは、保護区の地形をそのまま行程に使う。
食卓は六つ。シグネチャーは日系ペルー料理を出す Shima(設計は Estudio Lázaro)。地中海の食材を朝から夜まで通す Mel、プールサイドの Quiosc、ロビーの円形バー Cercle、職人アイスクリームの Crocant。2026年シーズンからは砂浜に面した Llum i Sal が加わり、地元の魚介を出す(設計は Esteva i Esteva、ランチは5月1日から、ディナーは5月15日から)。Kids For All Seasons とティーンセンターがあり、家族連れの旅程も受け止める構えになっている。
地中海の秋、営業期の終盤という時間
この宿は通年営業ではない。冬季は閉め、春に季節を開ける。2026年シーズンの開幕は 3月18日。スパの月替わりプログラムは 10 月の回まで組まれており、館内の運営はおおむね秋の終わりまでを見込んだ設計になっている。
9月から10月にかけての地中海は、水温が空気より遅れて下がるため、泳げる日が陸の体感より長く残る。観光のピークが過ぎ、松林に落ちる光の角度が低くなり、岬の稜線が夕方に長い影を引く。フォルメントール賞が文学者たちを集めたのも秋口だった。海に入るための夏ではなく、海を眺めながら本を開くための季節——編集部がこの一軒を秋に推す理由は、そこにある。

具体情報
- 所在: Playa de Formentor s/n, Port de Pollença, Illes Balears 07470, Spain
- 開業: 1929年8月24日(Hotel Formentor として)/Four Seasons としては 2024年8月に部分開業、2025年3月14日に全面開業
- 客室数: 110室(客室 79・スイート 31)。改装前は 127 室で、17 室減
- 客室サイズ: 最小区分でおよそ 40 平方メートル。全室が海に面したテラス付き
- 敷地: 40 ヘクタール(100 エーカー)の私有地。外周に 486 ヘクタール(1,200 エーカー)の自然保護区
- ビーチ: 1 km の砂浜へ敷地から直接アクセス。プライベート桟橋あり
- アクセス: パルマ・デ・マヨルカ空港から車で約 60 分(同空港は 160 都市と直行便で結ばれる)。マドリードから約 60 分、バルセロナから約 45 分のフライト
- 設計: 建築 Estudio Lamela/内装・スパ・レストラン Gilles et Boissier/Shima は Estudio Lázaro/Llum i Sal は Esteva i Esteva
- スパ: 600 平方メートル、トリートメントルーム 7 室
- 営業期間: 季節営業。2026年シーズンは 3月18日開幕、館内プログラムは 10 月まで
- 環境認証: バレアレス諸島で唯一の LEED ゴールド認証
価格の目安
開業時に公表された料金は、最小区分の客室(約 40 平方メートル、海に面したテラス付き)で 1 泊 1,600 ユーロ超、グランド・シービュー・スイートで 3,200 ユーロ前後。いずれも 2 泊以上が条件で、開業記念の 15% 割引を含んだ提示だった(2024年7月時点の現地報道)。季節営業のため夏の最盛期と春秋では水準が変わり、上記はあくまで開業時点の公表値である。実際の料金は時期と客室区分で動くので、確認は公式サイトで行うのが早い。
※ 本記事の数値は、宿の公式ファクトシート・公式プレスリリースおよび現地報道の公表情報に基づく。宿泊者の個別の感想は取り扱っていない。
よくある質問
Q. ベストシーズンはいつですか?
A. 季節営業のため、選べるのは春から秋までです。海に入ることを主目的にするなら 6 月下旬から 9 月。一方、松林の下で過ごす時間や食卓を軸に置くなら、編集部が推すのは 9 月中旬から 10 月です。水温が空気より遅れて下がるため泳げる日が残り、観光のピークは過ぎ、光の角度が低くなって岬の陰影が深くなります。2026年シーズンの開幕は 3月18日、館内プログラムは 10 月まで組まれています。
Q. アクセスは?
A. パルマ・デ・マヨルカ空港から車でおよそ 60 分。同空港は 160 都市と直行便で結ばれ、マドリードから約 60 分、バルセロナから約 45 分のフライトです。日本からの直行便はないため、ヨーロッパの主要都市で乗り継ぐ行程になります。宿はプライベート桟橋を持ち、ポルト・デ・ポリェンサから船で到着することもできます。道路が通じていなかった1929年の到着方法と同じ順路です。
Q. 子連れでも滞在できますか?
A. 年齢制限のある大人向けリゾートではなく、家族連れを受け入れる構成です。監修付きの Kids For All Seasons、ティーンセンター、ファミリープールが用意され、大人専用プールとは別に置かれています。砂浜が敷地から直接下りられる点も、小さな子どもを連れた旅程では効きます。
Q. 客室はどれくらいの広さですか?
A. 最小区分でおよそ 40 平方メートル。110 室すべてが海に面したテラスを備え、一部のスイートにはプライベートプールが付きます。改装で 127 室から 110 室へ減らした分が、そのまま一室あたりの広さと開口の大きさに回っています。
Q. 1929年の建物はどこまで残っていますか?
A. 増築はしていません。改装は既存の建物の輪郭の内側で行われ、外観ファサードは復元されています。内部は区画を取り直しているため、客室そのものは現代の設計です。歴史が残るのは輪郭とファサード、そして海に向かって開いた配置の考え方——と整理するのが正確です。
本記事の参考情報
・Four Seasons Resort Mallorca at Formentor — Facts(公式ファクトシート:客室数・敷地・設計者・スパ・アクセス)
・The History of Hotel Formentor(公式:1929年8月24日開業、アダン・ディール、フォルメントール賞)
・2026 Season Reopening(公式プレスリリース)(3月18日開幕、スパおよびダイニングの新設)
・Iberian Property(改装前 127 室、1億6,500万ユーロでの売却)
編集部から
客室を減らした改装は、近年のヨーロッパのクラシックホテルで繰り返されている判断で、丸の内のフォーシーズンズが 57 室で戻ってきたときと同じ設計思想の系譜にある。ただしフォルメントールが特異なのは、減らした理由が都市の密度ではなく、岬の地形と1929年の輪郭だったという点にある。増築できない敷地、増築しないと決めた設計。そこから逆算された 110 という数字を、松林と入江の側から読むと、この宿が九十七年かけて何を手放さなかったのかが見えてくる。秋の地中海は、それを確かめるのに適した時間である。