カルデラの縁に立つと、海面ははるか下にある。ギリシャ・サントリーニ島の西岸は、火山が海へ落ち込んだ断崖が、そのまま集落になった土地だ。白い漆喰の壁は、その崖に段々と積み上げられている。この島の宿を語るとき、話題はたいてい夕陽に向かう。けれど同じ「カルデラを望む部屋」でも、光の当たり方は宿ごとに違う。違いを決めているのは、崖のどの高さに、どの方角を向いて建っているか——つまり、光の傾きである。
※ 本稿は各宿の公式サイトが公開する情報と、島の地理および日没方位の公開データに基づく編集記事である。海外の宿であり、料金は季節・為替・滞在プランで大きく変動するため、目安価格の掲載は控えている。日没方位は北緯36度24分における計算値で、標高差や大気差により実際の見え方は前後する。標高は公表値に幅があるため、概数で記した。
夕陽は、真西には沈まない
北緯36度24分。この島で日没の方位は、季節とともに動く。夏至のころ、太陽は真北から数えておよそ300度——真西よりかなり北寄りの海に落ちる。それが8月には約293度、9月に入ると約281度、秋分には270度、ちょうど真西まで戻ってくる。5月から9月という、この島がもっとも人を集める季節のあいだに、日没の方位はおよそ30度も振れる勘定になる。
30度という角度は、崖の上では決定的だ。カルデラの縁は、南のアクロティリから北端のイアまで、ゆるやかな弧を描いて連なっている。弧の上のどこに立つかによって、この30度の振れは「正面から受ける光」にも「斜めに逃げていく光」にもなる。そしてテラスの向きは、あとから動かせない。だから崖に建てるという行為は、はじめから光の側に合わせるということでもある。段々に積むという形式は、眺めを平等に配るための工夫であると同時に、どの高さでどの角度の光を受けるかという選択でもあった。
北端——光を正面で受ける
イアは弧の北端にある。この島でここだけは、カルデラの口が外洋に向かって開いている。夏の太陽は、その口の先の海へ沈む。対岸に遮るものがない。イアが日没の時刻に世界中から人を集めるのは、風景が特別に美しいからというより、単に方角がそうなっているからだ。光は正面から来る。

イアの崖には、かつて船乗りたちが凝灰岩を掘り抜いて住んだ洞窟住居が残っている。ペリヴォラスは、その住居をそのまま宿にした一軒だ。公式サイトによれば、客室はいずれも地元の船乗りの洞窟を改めたもので、ひとつとして同じ形がない。曲面だけでできた白い壁は、平らな面をほとんど持たない。正面から差し込む西陽は、この曲面の上をゆっくりと滑り、時間とともに影の縁だけを動かしていく。壁が白いのは涼しさのためだが、結果として、光の角度がそのまま壁の陰影として読める面にもなった。崖に切り込まれたインフィニティプールは、水際の線を消して、遠くのカルデラの水面と高さを揃えて見せる。この宿の象徴となり、1997年から雑誌の表紙を飾ってきたと公式サイトは記す。設計が狙ったのは眺めそのものではなく、光がどこで折れるかだったのだろう。
最高所——季節で光の落ちる先が入れ替わる
イメロヴィグリは、カルデラの縁でもっとも高い集落である。海面までの落差は、公表値に幅があるものの、300メートルを超える。ここから見る日没は、イアとは性格が違う。夏の盛り、方位が300度近くまで北へ寄っているあいだ、太陽はカルデラの口の方向、外洋の水平線に落ちる。ところが季節が進んで方位が真西へ戻ってくると、今度は対岸のティラシア島の背後に沈むようになる。同じテラスの、同じ時刻。それでも夏と初秋とで、光の落ちる先が入れ替わる。

アストラ・スイーツは、その縁に、ひとつの小さな集落のように積まれている。棟を高く立ち上げず、段を重ねて低く抑える——縁の最高所という条件では、それが上の段の視界を殺さない唯一の方法になる。公式サイトはイメロヴィグリからの眺めと、この島の日没を宿の中心に据えていると述べる。テラスの正面には、カルデラへ突き出したスカロス岩が黒い塊として横たわる。ここには1207年、キクラデス諸島を治めたマルコ・サヌードがヴェネツィアの城を築いた。夕刻、岩は逆光の影になり、光は岩の輪郭の外側だけを縁取って通り過ぎていく。斜めに逃げる光とは、そういう見え方をする。
中腹——光を建物の履歴で受ける
フィラは弧の中ほど、標高はイメロヴィグリより低く、イアよりは高い。島の中心の町でありながら、縁に沿って歩けば、人の流れから外れた区画が残っている。

エギアロスは、その静かな側に建つ。公式サイトによれば、18世紀から19世紀の邸宅群を修復してつくられた15室の宿で、フィラのなかでも喧噪から離れた縁にある。もとは船長たちの家だった建物だ。ここで注目すべきは、光の受け方が新しい設計ではなく、200年前の判断の結果だという点である。当時の船長たちは、眺めのためではなく、風と陽射しと家格のために壁の向きを決めた。その向きが、いまテラスの向きとして残っている。だから客室はひとつずつ違う。同じ夕刻でも、隣の部屋とは光の入る角度が少しずれる。修復とは、その古い角度を保存する作業でもあった。
光の側に合わせるということ
三軒に共通するのは、崖という動かせない条件を受け入れたうえで、光に対して姿勢を決めているという一点だ。イアは正面から受け、イメロヴィグリは季節に応じて受け方を変え、フィラは200年前の向きを引き継ぐ。どれが優れているという話ではない。夕刻の30分に何が起きるかが、宿ごとに違うという話である。
だから滞在の設計も、少し変わってくる。日没を正面で受けたいなら北端を選び、光が対岸の島に沈む時間の長い夕暮れを見たいなら、盛夏を外して初秋の縁の高い場所を選ぶ。テラスの向きは、写真では分からない。分かるのは、そこに何時にいるかを決めたときだ。エーゲ海の白い壁は、ただ白いのではなく、光の角度を測るための面として、そこに積まれている。
よくある質問
Q. ベストシーズンはいつですか?
A. 島の宿の多くは4月から10月にかけて開く。本稿が扱う光の傾きという観点では、5月から9月が対象になる。夕陽を外洋の水平線に見たいなら6〜7月、対岸の島陰に沈む長い夕暮れを見たいなら9月が近い。真夏は人出と気温がともに高く、9月は海水温が保たれたまま静けさが戻る時期にあたる。
Q. 英語は通じますか?
A. サントリーニは国際的な旅行先で、本稿の3軒はいずれも英語による公式サイトを備えている。島の観光関連の場面では英語が広く使われる。予約や送迎の手配も英語で完結することが一般的である。
Q. 最低何泊から滞在を組むべきですか?
A. 光の傾きを主題に置くなら、最低でも2泊は要る。夕刻の条件は雲量で大きく変わり、1泊では一度きりの賭けになる。島へは空路のほかアテネのピレウス港からの航路もあり、移動日を含めると3泊前後が組みやすい。各宿の最低宿泊日数は時期により設定が異なるため、公式サイトでの確認が要る。
Q. 子連れでも滞在できますか?
A. カルデラの縁の宿は、段差と階段が多い構造を持つ。崖に沿って段々に積まれた形式そのものが、平坦な動線と相性がよくない。宿によっては年齢の下限を設けている場合があるため、公式サイトでの事前確認が要る。
Q. 3軒はどう選び分けますか?
A. 日没を遮るものなく正面で受けたいならイアのペリヴォラス。縁の最高所から、季節で表情の変わる日没とスカロス岩の影を見たいならイメロヴィグリのアストラ・スイーツ。町へ歩いて出られる距離を保ちつつ、建物の履歴ごと光を受けたいならフィラのエギアロスになる。
本稿で触れた宿
- Perivolas(ペリヴォラス) — サントリーニ島イア。船乗りの洞窟住居を改めた宿。カルデラに切り込むインフィニティプール。
- Astra Suites(アストラ・スイーツ) — サントリーニ島イメロヴィグリ。カルデラ縁の最高所、正面にスカロス岩。
- Aigialos(エギアロス) — サントリーニ島フィラ。18〜19世紀の邸宅群を修復した15室の宿。
本記事の参考情報
・Wikipedia: Imerovigli — カルデラ縁の集落とスカロス岩の履歴
・Wikipedia: Santorini — 島とカルデラの地理
・Visit Greece(ギリシャ政府観光局) — キクラデス諸島の観光情報
編集部から
崖に建つ宿を、眺めの良し悪しで語るのは易しい。だが今回、3軒の公式サイトを読み比べて残ったのは、どれも「どこを見るか」ではなく「いつ、どちらを向いているか」を先に決めていた、という印象だった。光は動く。建物は動かない。その差を引き受けた形が、あの段々の白い壁である。キクラデスには、カルデラを持たない島もまだ多くある。平らな島の白い壁は、光をどう受けているのか。次はそちらを歩いてみたい。